消費されるジャズ

単なる日記については文体変わります。あしからず。


会社の近くに航海屋というラーメン屋があって、昼飯によく行く。


ぼくは特にラーメンが好きな人間ではない。目の前に同じくらい混んでいるラーメン屋とカレー屋があったら、迷わずカレー屋に行く。


で、航海屋のラーメンなんだけど。うまいと思う。


初めて食べたときは特に感動はなかった。いたって普通のしょうゆラーメン。魚介系なんで少しだけ癖がある。それからチャーシューおこわがランチタイムだと100円で食べられる。こいつは3杯までおかわり自由だ。これもめちゃくちゃうまいってわけでもなく、なんだか輪郭のない味。まあ、普通。ただ、カウンターにおいてある辛味ミソみたいなのをかけて食べると、けっこうイケる。


昼飯をどこに行くか食いに行くときに迷ったときに、何回か入った。


3度目あたりから意識的に選んでいくようになった。


近くに三代目(助) MARUSUKEってとんこつ系のラーメン屋もあって、味的にはこっちがインパクトあってうまい。でも5回くらい食べると、なんか食う前に味を思い出しちゃって胃がうえってなる。それから行かなくなった。


航海屋のラーメンも、食う前に味を思い出すんだけど、また食ってもいいかなって気になる。飽きの来ない味って言うんだろうか。で、また行く。


そういったもろもろ含めて、航海屋のラーメンはうまいと思う。


店内はいわゆるフツーのラーメン屋。カウンター席のみで、壁に芸能人の色紙や取り上げれた雑誌の切抜きが貼られてる。店員は中国人のパートが多くて、そこそこの愛想でそこそこ手際よく接客してる。


で、この航海屋でひとつだけ我慢できないことがあって、それはBGMでジャズが流れていること。


ああ、ジャッキーマクリーンのサックスが、ビルエヴァンスのピアノが、やさぐれたラーメン屋の空間で、誰の耳にも止まらず、伸びきったラーメンのように消費されていく。


飲食店でのジャズの消費のされ方

その昔、ジャズはストイックな音楽だった。ジャズ喫茶なるもので、コーヒー1杯で何時間もねばって、襟を正して真剣に耳を傾けるのが流儀だった。ぼくはそんな経験ないけども、ジャズ好きなおっさんから、よくそんな話は聞く。


その後しばらく、ジャズは静かな喫茶店や、落ち着いたバーで、聞こえるか聞こえないかの音量でかかっているものだった。他ではあまり聞かなかった。


それがあるときを境に、オシャレ系の居酒屋でかかるようになった。メニューは居酒屋だけど、銘柄のお酒を各種取り揃えていて、料理もうまくて、内装もきれいで間接照明系のお店。最初に聴いたときはひどく場違いな気がした。ミスマッチのよさなんだろうなぁ、と思えた。


80年代後半から90年代にかけて、正統派ジャズおやじが衰退していくと同時に、ジャズはおしゃれなものって認識ができあがってきたと思う。


ジャズで聴く何とかってオムニバスアルバムがたくさん作られたのもこの頃だと思う。サザンやユーミンの曲を、ピアノトリオかなんかで演奏したスッカスカのジャズ。いかにもOLさんをターゲットにしてます、みたいなジャケットで売ってた。


そんな広告代理店の人間が頭で考えたお仕着せのおしゃれなんて、すぐに安っぽくなるに決まってる。


オシャレ系居酒屋が流し始めた「おしゃれなジャズ」は瞬く間に飲食業界を席巻する。気づけば、なんてことないレストランや、コーヒースタンドで流れている。


そして、天井に添えつけられたブラウン管テレビの変わりに、場末のラーメン屋でもジャズが流れる時代になった。


ソニークラークのアドリブを耳で追いながら、ぼくはラーメンをすする。


でもよく考えると海外の名盤と呼ばれるライブ版でも、オーディエンスの話し声や食器のかちゃかちゃ鳴る音が意外と大きな音で入ってたりする。客、全然聴いてないじゃん。って思うことがある。


おんなじことか、と思いつつ、ぼくはラーメンのスープをすすりながら、せめてぼくだけでも、とポール・チェンバースのベースラインを耳で追うのだった。