「とらドラ!」のなかのリアル

なんかここ1週間自分のブログじゃないみたいにお客さんが来たので、気軽にポストできなくなってきた。
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Google readerのトレンドで調べても登録者が増えたワケじゃないし、一過性のもんでしょう。
ということで初音ミクやニコ動以外のことを書いて、どんどん皆さんの記憶から消えていきたい。ぼくは表に出ては行けない人間なんだ(笑)


で、今週アニメも最終回を迎えるとらドラ!について

とらドラ!のリアル


とらドラ!はリアルだって言うけど、ある意味正解である意味間違ってると思うんだ。


とらドラ!のリアルは、登場人物たちの心理描写や行動パターンにあると思います。特にスキーの回が顕著だったなぁ。リフト乗り場で女子と男子のふとしたいがみ合いからどんどん周囲を巻き込んだけんかに発展し、最後に木原が泣きだす一連の流れや、亜美と実乃梨の口げんかシーン、翌日の殴り合いのけんか。どれもこれも、「あーこういうことって、あったよなぁ」と自分の記憶との一致に、ぼくのようなおっさんなら懐かしさで胸がせつなくなるシーンです。


みのりんのクリスマスでの壊れ方も、やりすぎでメンヘラ臭が漂うほどでしたが、こういうひとっているよね、ってリアルさがあります。


とらドラの面白さは、心理描写や行動パターンの「共感を呼ぶ」リアルさに比べて、そのあらゆるシチュエーションが「非リアル」であることの対比の面白さなんです。


だって、基本同居モノパターンでしょ? ある日かわいい女の子が突然家にやってきて何故か同居ってパターン。その設定だけ取り出すと「かんなぎ」と変わらん訳です。ま、確かに同居じゃなくて隣人だし、大河は女子高生であって神様じゃないけど、そんなの全然リアルじゃねーっつーの!(あーみん口調で)

そう考えると、女子高生が竹刀持って殴り込みしないし、ある日突然モデルの女子高生が転校してくるワケないし、水泳対決だって福男レースだってクリスマス会だって、何を取ってもとらドラの中は非現実的なシチュエーションのオンパレードです。だいたい、駆け落ちなんて、だれかが言ってたけど、もはや「ひるドラ!」レベルの非現実だろ(笑)。


徹底的にリアルな行動原理の登場人物が、徹底的に非リアルなシチュエーションで立ち回る面白さこそ、とらドラ!の醍醐味とも言えます。たとえば「涼宮ハルヒ」が非リアルなシチュエーションを、さらにメタ的構造にして、とことん非リアルにすることで物語を面白くしていたのと対照的だと思います。

登場人物の崩壊と再生

そして、とらドラ!は登場人物の崩壊と再生の物語として読み解くことができます。


たいていの物語は起承転結の「転」の部分で1度主人公が壁にぶち当たります。そこから這い上がって一気に「結」に行くのが常套手段です。1回落としてから復活するほうが、ラストのハッピーエンドが引き立つからです。で、とらドラ!の場合この「転」の描き方が徹底している。主人公のみならず、主要登場人物全員を壁にぶち当てます。


とらドラ!の転機は文化祭の回からでしょう。それまでのラブコメ路線から一転、この回から主要登場人物のたいせつな人間関係が崩壊し、そして再生していくシリアスな物語に変わっていきます。それは文化祭の時の大河の父親との関係だったり、北村大先生の狩野生徒会長への想いだったり、竜児の実乃梨への思い、実乃梨の大河と竜児との関係だったりします。ある日それが容赦なく崩壊する。完膚なきまでたたきつぶされる。そして崩壊した中から、傷つき、もがきながらも這い上がり、やがて自分の居場所を見つけていく・・・その崩壊と再生の繰り返し・・・長い長い「転」が続きます。

取り残される亜美

亜美は「遅れてきた登場人物」です。部外者として全体が見え、見えるが故にこそ疎外される役割を与えられた人物といえます。大河の竜児への思いも、その逆も、みのりの大河と竜児の間で揺れる思いも全て正しく気づいていたのが彼女です。彼女の不幸は、すべて分かっているために決定的な「関係の崩壊」が訪れなかったことに尽きます。自分の気持ちと行動の乖離に悩みながらも、安全地帯からは動けずにいた。決定的な崩壊が訪れない代わりに、それなりに傷ついた自分を再生させることもできない──自分の居場所が見つからない。そういったジレンマを抱え続けるキャラです。


『「亜美ちゃんを幸せに」とは? 『週刊とらP!』で制作陣にインタビューを敢行!!』
http://news.dengeki.com/elem/000/000/145/145031/

――竹宮先生からは、どのような要望があったんですか?

小林さん:「亜美ちゃんを幸せにしてほしい」と。強い要望でしたね。


この原作者の「とらドラP!」に対する要求は、まさにこの亜美のジレンマから生み出されたものと言えるでしょう。

あーみんは俺の嫁

2ちゃんのとらドラ!関係のスレを流し読みすると、亜美派が圧倒的に多いことにびっくりします。亜美のジレンマを受け止められる存在は実は唯一、さらに全てを見通せる読者や視聴者しかないのです。そんな重たいもの受け止めた以上、あーみん派になるしかないじゃないすか(笑)


ということで結論。あーみんは俺の嫁。異論は認めない(笑)