トイレ文庫でナンシー関を悼む

世の中には2種類の人間がいて、それはトイレの中で本を読む人間と、読まない人間だ・・・と偉い人が言ったかどうかはさだかではありませんが、うちのトイレの棚には本が満載です。


と言ってもトイレで何十分も読書できるほどうちのトイレは快適に出来ておりませんので、「さっと開いてぱっと閉じる」ことがトイレ文庫の最重要課題です。


最近のトイレ文庫のレギュラーメンバーは、岡田斗司夫のエッセイ、吾妻ひでおうつうつひでお日記ドラえもんの文庫版、そしてナンシー関のエッセイです。


どの本も、適当に開いたページから読めるうえ、すぐにひとつの話が終わりますから本を閉じやすい。そのうえ何度読んでも面白いので、トイレ文庫としては最高の布陣です。トイレ読書初心者にもおすすめ!


さて今日も目覚まし時計に叩き起こされて、起床後、めざましテレビを見ながら飯を食って、そそくさとナンシー関を読みながら用を足しておりました。


基本的に10年くらい前のテレビの話なのですが、どれもこれも面白い。基本時事ネタのくせに10年経った今でもこれだけ読ますのは、ナンシー関の人間に対する視線の冷徹さです。ナンシー関の冷徹な人間観察眼は、ものすごく普遍的な真理を含んでるからです。


思ったんですけど、これだけ毎日毎日テレビがつまらないと言われて実際TBSなんかの視聴率が終日ヒトケタなんて話があり、テレビの危機なんてネット界隈で叫ばれてるのは、ナンシー関がいないからではないでしょうか?


ナンシー関はぼくらに、テレビの見方を教えてくれてたのです。どんなにつまらない番組でもナンシー関のまなざしを持ってすれば、そこに何がしかの人間臭さを発見できた。だって、ナンシー関のエッセイで扱う番組は、今考えると本当につまらなそうな番組ばかりだもの。今のテレビに必要なのは、ナンシー関のあの冷徹なまなざしだ!


そうだそうなんだ!テレビがつまらないのは、ナンシー関がいないからなんだ!


その発見にぼくは小躍りして、そうだブログに書こうと思い立ったワケです。しかしながら、トイレの中で朝っぱらからそんなこと考えて小躍りしてる自分に、あとで振り返って絶望しました。今あなたが読んでるこの文章は、おっさんがうんこしながら考えてたことだぜ? まあ、いいか。iPhoneや携帯を使ってトイレの中で読んでる人だっているかもしれないし。