ETYMOTIC RESEARCH hf5 Rubyを買った。

【国内正規品】 Etymotic Research インイヤーイヤホン HF5-RUBY

【国内正規品】 Etymotic Research インイヤーイヤホン HF5-RUBY

普段使い用に買った。はじめは軽く耳に入れるくらいで使ったので「なんじゃこりゃ、低音スッカスカだな」と失敗した感ありありだったのだが、鼓膜破るくらいの勢いでグイグイ押し込んで装着しないとダメみたい。もうこれ以上入らないってくらい押し込むと、いい感じで鳴りはじめた。


どのレビューを見ても書いてあるでしょうが、音の解像度と分離がいい。今まで聴こえなかった音がクリアに聴こえてくる感じ。音の消え際とかが特に。ピアノだったら、音が消える時ハンマーが弦から離れるノイズが聴こえるみたいな。そこまで行くと大袈裟だけど、ペダルノイズはもうあからさまに聴こえてくるなぁ。ていうか、そんなもん聴こえなくていいような気もするけど。


耳の圧迫感が結構あるので、長時間使うと疲れるかなぁ。それからはずした時にイヤーピースに耳垢がつく。耳かき好きだけど、これは全然うれしくない。音を取るか、快適さをとるかって感じ。今まで使ってたAKGのK324Pは、着け心地がかなり良いのでしばらく併用って感じかなぁ。ああ、色はとても好きです。ETYMOTIC RESEARCHのイヤフォンはどれも信じられないほどダサかったんですけど、これならいいかなって感じ。「ちょっとがんばってみました」的なデザインと、ETYMOTIC RESEARCHらしい武骨さがちょうどいいバランスで成り立っている。色は黒とコバルト(青)があるけど、圧倒的にこの赤がいいと思う。

タッチノイズは自分的には気になりません。ここ5年ほどずっとカナル型/インナーイヤー型生活なので、慣れてしまっているのかも。最初に買ったカナル型は自分の足音が脳に響くのと、動くたびに耳の中でガサガサ言うので音楽に集中できなかったもんなぁ。


ところで、エージングってあれ、ほんとなの? たしかに新しいヘッドホンをおろしたときは「あれ?音こもってない?」って思う時もあるんだけど、次の日には忘れてる。これはエージングの結果なのか、単に耳が慣れただけなのか・・。

冨田ラボをいまさら買う

シップビルディング

シップビルディング

なんとなく買いそびれてた冨田ラボのアルバムをiTunes Storeで買う。


キリンジが好きなんだけど、最近のアルバムはあまり好きになれないなぁと思ってたら、それまでプロデューサーだった冨田恵一が抜けてた。その冨田恵一のセルフプロデュースユニットが冨田ラボ


聴いてみて「ああ、ぼくはキリンジが好きなんじゃなくて、冨田恵一が好きだったんだ」ってことに気づく。すごくいいです。生楽器の使い方のセンスの良さが抜群だよなぁ。それから、独特なコード感があるひとだと思う。ていうか、なんでこんな上質な音楽が売れないんだ? 今年に入って冨田ラボAVEX系のレーベルに移籍したようだ。エグザイルを増殖させたり、ガールズネクストなんたらとかをゴリ押しで売ってるヒマあったら、冨田ラボ売ってくれ。

「とらドラ!」のなかのリアル

なんかここ1週間自分のブログじゃないみたいにお客さんが来たので、気軽にポストできなくなってきた。
ということでtwitterはじめました。お気軽にフォローどうぞ。
http://twitter.com/tokiwa_k


Google readerのトレンドで調べても登録者が増えたワケじゃないし、一過性のもんでしょう。
ということで初音ミクやニコ動以外のことを書いて、どんどん皆さんの記憶から消えていきたい。ぼくは表に出ては行けない人間なんだ(笑)


で、今週アニメも最終回を迎えるとらドラ!について

とらドラ!のリアル


とらドラ!はリアルだって言うけど、ある意味正解である意味間違ってると思うんだ。


とらドラ!のリアルは、登場人物たちの心理描写や行動パターンにあると思います。特にスキーの回が顕著だったなぁ。リフト乗り場で女子と男子のふとしたいがみ合いからどんどん周囲を巻き込んだけんかに発展し、最後に木原が泣きだす一連の流れや、亜美と実乃梨の口げんかシーン、翌日の殴り合いのけんか。どれもこれも、「あーこういうことって、あったよなぁ」と自分の記憶との一致に、ぼくのようなおっさんなら懐かしさで胸がせつなくなるシーンです。


みのりんのクリスマスでの壊れ方も、やりすぎでメンヘラ臭が漂うほどでしたが、こういうひとっているよね、ってリアルさがあります。


とらドラの面白さは、心理描写や行動パターンの「共感を呼ぶ」リアルさに比べて、そのあらゆるシチュエーションが「非リアル」であることの対比の面白さなんです。


だって、基本同居モノパターンでしょ? ある日かわいい女の子が突然家にやってきて何故か同居ってパターン。その設定だけ取り出すと「かんなぎ」と変わらん訳です。ま、確かに同居じゃなくて隣人だし、大河は女子高生であって神様じゃないけど、そんなの全然リアルじゃねーっつーの!(あーみん口調で)

そう考えると、女子高生が竹刀持って殴り込みしないし、ある日突然モデルの女子高生が転校してくるワケないし、水泳対決だって福男レースだってクリスマス会だって、何を取ってもとらドラの中は非現実的なシチュエーションのオンパレードです。だいたい、駆け落ちなんて、だれかが言ってたけど、もはや「ひるドラ!」レベルの非現実だろ(笑)。


徹底的にリアルな行動原理の登場人物が、徹底的に非リアルなシチュエーションで立ち回る面白さこそ、とらドラ!の醍醐味とも言えます。たとえば「涼宮ハルヒ」が非リアルなシチュエーションを、さらにメタ的構造にして、とことん非リアルにすることで物語を面白くしていたのと対照的だと思います。

登場人物の崩壊と再生

そして、とらドラ!は登場人物の崩壊と再生の物語として読み解くことができます。


たいていの物語は起承転結の「転」の部分で1度主人公が壁にぶち当たります。そこから這い上がって一気に「結」に行くのが常套手段です。1回落としてから復活するほうが、ラストのハッピーエンドが引き立つからです。で、とらドラ!の場合この「転」の描き方が徹底している。主人公のみならず、主要登場人物全員を壁にぶち当てます。


とらドラ!の転機は文化祭の回からでしょう。それまでのラブコメ路線から一転、この回から主要登場人物のたいせつな人間関係が崩壊し、そして再生していくシリアスな物語に変わっていきます。それは文化祭の時の大河の父親との関係だったり、北村大先生の狩野生徒会長への想いだったり、竜児の実乃梨への思い、実乃梨の大河と竜児との関係だったりします。ある日それが容赦なく崩壊する。完膚なきまでたたきつぶされる。そして崩壊した中から、傷つき、もがきながらも這い上がり、やがて自分の居場所を見つけていく・・・その崩壊と再生の繰り返し・・・長い長い「転」が続きます。

取り残される亜美

亜美は「遅れてきた登場人物」です。部外者として全体が見え、見えるが故にこそ疎外される役割を与えられた人物といえます。大河の竜児への思いも、その逆も、みのりの大河と竜児の間で揺れる思いも全て正しく気づいていたのが彼女です。彼女の不幸は、すべて分かっているために決定的な「関係の崩壊」が訪れなかったことに尽きます。自分の気持ちと行動の乖離に悩みながらも、安全地帯からは動けずにいた。決定的な崩壊が訪れない代わりに、それなりに傷ついた自分を再生させることもできない──自分の居場所が見つからない。そういったジレンマを抱え続けるキャラです。


『「亜美ちゃんを幸せに」とは? 『週刊とらP!』で制作陣にインタビューを敢行!!』
http://news.dengeki.com/elem/000/000/145/145031/

――竹宮先生からは、どのような要望があったんですか?

小林さん:「亜美ちゃんを幸せにしてほしい」と。強い要望でしたね。


この原作者の「とらドラP!」に対する要求は、まさにこの亜美のジレンマから生み出されたものと言えるでしょう。

あーみんは俺の嫁

2ちゃんのとらドラ!関係のスレを流し読みすると、亜美派が圧倒的に多いことにびっくりします。亜美のジレンマを受け止められる存在は実は唯一、さらに全てを見通せる読者や視聴者しかないのです。そんな重たいもの受け止めた以上、あーみん派になるしかないじゃないすか(笑)


ということで結論。あーみんは俺の嫁。異論は認めない(笑)

消費されるジャズ

単なる日記については文体変わります。あしからず。


会社の近くに航海屋というラーメン屋があって、昼飯によく行く。


ぼくは特にラーメンが好きな人間ではない。目の前に同じくらい混んでいるラーメン屋とカレー屋があったら、迷わずカレー屋に行く。


で、航海屋のラーメンなんだけど。うまいと思う。


初めて食べたときは特に感動はなかった。いたって普通のしょうゆラーメン。魚介系なんで少しだけ癖がある。それからチャーシューおこわがランチタイムだと100円で食べられる。こいつは3杯までおかわり自由だ。これもめちゃくちゃうまいってわけでもなく、なんだか輪郭のない味。まあ、普通。ただ、カウンターにおいてある辛味ミソみたいなのをかけて食べると、けっこうイケる。


昼飯をどこに行くか食いに行くときに迷ったときに、何回か入った。


3度目あたりから意識的に選んでいくようになった。


近くに三代目(助) MARUSUKEってとんこつ系のラーメン屋もあって、味的にはこっちがインパクトあってうまい。でも5回くらい食べると、なんか食う前に味を思い出しちゃって胃がうえってなる。それから行かなくなった。


航海屋のラーメンも、食う前に味を思い出すんだけど、また食ってもいいかなって気になる。飽きの来ない味って言うんだろうか。で、また行く。


そういったもろもろ含めて、航海屋のラーメンはうまいと思う。


店内はいわゆるフツーのラーメン屋。カウンター席のみで、壁に芸能人の色紙や取り上げれた雑誌の切抜きが貼られてる。店員は中国人のパートが多くて、そこそこの愛想でそこそこ手際よく接客してる。


で、この航海屋でひとつだけ我慢できないことがあって、それはBGMでジャズが流れていること。


ああ、ジャッキーマクリーンのサックスが、ビルエヴァンスのピアノが、やさぐれたラーメン屋の空間で、誰の耳にも止まらず、伸びきったラーメンのように消費されていく。


飲食店でのジャズの消費のされ方

その昔、ジャズはストイックな音楽だった。ジャズ喫茶なるもので、コーヒー1杯で何時間もねばって、襟を正して真剣に耳を傾けるのが流儀だった。ぼくはそんな経験ないけども、ジャズ好きなおっさんから、よくそんな話は聞く。


その後しばらく、ジャズは静かな喫茶店や、落ち着いたバーで、聞こえるか聞こえないかの音量でかかっているものだった。他ではあまり聞かなかった。


それがあるときを境に、オシャレ系の居酒屋でかかるようになった。メニューは居酒屋だけど、銘柄のお酒を各種取り揃えていて、料理もうまくて、内装もきれいで間接照明系のお店。最初に聴いたときはひどく場違いな気がした。ミスマッチのよさなんだろうなぁ、と思えた。


80年代後半から90年代にかけて、正統派ジャズおやじが衰退していくと同時に、ジャズはおしゃれなものって認識ができあがってきたと思う。


ジャズで聴く何とかってオムニバスアルバムがたくさん作られたのもこの頃だと思う。サザンやユーミンの曲を、ピアノトリオかなんかで演奏したスッカスカのジャズ。いかにもOLさんをターゲットにしてます、みたいなジャケットで売ってた。


そんな広告代理店の人間が頭で考えたお仕着せのおしゃれなんて、すぐに安っぽくなるに決まってる。


オシャレ系居酒屋が流し始めた「おしゃれなジャズ」は瞬く間に飲食業界を席巻する。気づけば、なんてことないレストランや、コーヒースタンドで流れている。


そして、天井に添えつけられたブラウン管テレビの変わりに、場末のラーメン屋でもジャズが流れる時代になった。


ソニークラークのアドリブを耳で追いながら、ぼくはラーメンをすする。


でもよく考えると海外の名盤と呼ばれるライブ版でも、オーディエンスの話し声や食器のかちゃかちゃ鳴る音が意外と大きな音で入ってたりする。客、全然聴いてないじゃん。って思うことがある。


おんなじことか、と思いつつ、ぼくはラーメンのスープをすすりながら、せめてぼくだけでも、とポール・チェンバースのベースラインを耳で追うのだった。

ブームとは「にわか」が見つけて「にわか」が伸ばす現象

以下1パラグラフはドラマ「トライアングル」ネタバレ。

最初はwktkしながら見ていたドラマ「トライアングル」が、先週懸念してた通り「野球カードが原か中畑か」で真犯人が決まるというオチをキメてきた。友人は「カード決済END」と言ってた。いや、冗談で言ってるんじゃないんだぜ。パリ、東京、大阪、上海と10週も引っ張っておいて、最後は江口が机をパンパンたたきながら「なんで落としたカードが中畑だってアンタ知ってるんだろうなぁ?」「・・・私がやりました」で終わちゃった。どんだけ落胆したかってことですよ。


さて、前回のエントリの続きをつらつらまとめていきたいと思います。

有名Pに人気が集中するのは正しいあり方


誤解している方も多いようですが、ライトユーザーが「ごひいき聴き」するのは非常に正しいありかただと思います。


ν速なんかでアニメの話があると正統「マニア」に対して「にわか」って言葉を頻繁に耳にしますが、ブームを加速させてるのは圧倒的多数の「にわか」層なんです。


ボカロにおいてもそれは変わりません。


前回、ボカロ初期においては、無名でもブレイクすることができたが、今はそれは難しい状況と書きました。


ボカロにおけるマニアを「全曲無差別に聴いて良い作品を探す層」、にわかを「有名Pやランクインした人気曲を聴く層」と定義つけるとします。


「マニア」が見つけて「にわか」が伸ばすのが、ボカロ初期においての人気曲でした。この現象を普通は「ブレイク」と言うと思います。そして現在、ボカロの人気曲は「にわか」が見つけて「にわか」が伸ばすものになってます。この現象を「ブーム」と言うのだと思うのです。

ユーザーによらないランク付けの機会を


さて、これは構造の問題です。いくら「無名Pにもっと光をあてよう。伸びない曲救済キャンペーンを草の根展開しよう」と声高に唱えたところで、小学校の学級会で「廊下は走らないようにしよう」って委員長が提案するくらいむなしいものです。長い廊下がそこにあるなら、走るのが小学生なんです。「走るな」という言葉がどんなに正論でも、言ったところでどうこうなるもんでもありません。

同じように、ユーザーによるランク付けは止められません。むしろこの部分をシステム的に変更しようと思ったらむちゃくちゃ抵抗されます。以前ニコ動のランキングシステムのデフォルトが週間ベースに変更されたことがありますが、これがユーザーの酷評をくらっていつのまにか日別に戻ってたのは記憶に新しいと思います。


で、どうすれば無名Pにてっとり早く光があたるかというと、これはユーザーによらないランク付けの機会を別で用意すればいい、ってことになると思うのです。


現在ニコニコ映画祭なんてものが定期的に行われてますが、これは審査委員方式のユーザーによらないランク付けで各種賞を決めてます。ぼくはこの「賞」を「動画一般」ってことで行うのではなく、各ジャンルごとに積極的に開くべきだと考えます。本当にありきたりな案で恐縮なんすが。


「審査委員方式」だと有名Pも無名Pも同じ俎上にのせられます。で、大賞を取れば一気にブレイクする。


ぼくがイメージするのは「直木賞」「芥川賞」です。商業エンタメ業界の「賞」は、割と「どんだけ売れたか?」で勝敗が決まってくるものが多いのですが、「直木賞」「芥川賞」の場合、受賞からブレイクしていくケースがよく見られますよね。で、これが出版業界の風通しをよくして、新しい動きを作ってるなぁ、って思うのです。


だからどんどんスポンサー募ってやっちゃえばいいと思うんですよ。ニコニコ映画祭のようなエントリー方式じゃなく、すでにうpされているもののなから勝手に選んだっていいじゃないですか。勝手に選ばれて嫌なら辞退してもいいと思うし。


そして、そういった動きは確実にボカロに新しい風を生むと思うのです。もしかして第2、第3のsupercellがそこから生まれるかもしれませんよ。


そんな感じで運営さんには期待している次第です。いや、結局結論は運営丸投げかよ・・・(笑。

現在のボカロカテはリスナーには安定期、クリエイターには低迷期

このはてダは基本的に親戚縁者5人程度しか見られてないのです。書いた翌日に、ばあちゃんから「元気そうだなァ、小遣いやっからなァ」って電話かかってくるくらいの反応しかないのです。昨日鼻くそほじりながら投降した記事がなぜか戀塚さんにブクマ()され、それからカウンターが猛烈な勢いで回り始め、「うわ! モヒカン軍団がヒャッハーって攻めてきてdisられる!」と布団の中でgkbrしてました。


わずか10のブクマでこんなだったら、何百ってブクマもらったらいったいどうなるのよ?
というか、ぼくがニコ動に投降したボカロ曲よりブクマ数が多いのは悲しいです。あ、あたしだって、殿堂入り曲があるPなんですからねッ!


さて、読者が多いうちにボカロについて少し語っておこうと思います。

打ち込み系音楽カテはブームが来るとすぐ飽きられる

東方系やドナルドや伯方の塩など、素材の流行り廃りで回転していくネタリミックス系は別として、かつて爆発的な勢いで流行った打ち込み系音楽カテはブーム到来のあとはすぐに飽きられる、ということが繰り返されます。


たとえばディレイラマを使った僧侶シリーズ。あるいは、IKZO。どちらも急激にブームが到来し、唐突にブームが去りました。


打ち込み人口って想像以上に多いと思うのですよ。で、あれがウケる!って分かると、怒涛のように職人が押し寄せる。結果、玉石混合の作品でカテゴリが飽和します。そうなるとリスナーはどれを聴いていいか分からない上、毎日同じものばかり食って満腹状態に陥ります。ここでリスナー離れが急速に進み、飽きられ、新しくうpされた動画がどんなに高クオリティでも伸びなくなります。


飽和状態になったときに「これを聴いたらよいぜよ」という指針がないとカテゴリーは衰退するのです。ところがボカロカテは、作品数がどんなに飽和してもブームは相変わらず続いていっています。飽きるスピード以上に高クオリティ作品を提示する指針が現れたということです。

有名Pという指針

ニコ動では「うp主」は名無し匿名が好ましいという空気があります。ところがボカロ、アイマス、歌ってみた、踊ってみた、演奏してみたなど、作品数が「飽和ってレベルじゃねーぞ!」ってくらい多いカテには、決まったP名やコテハンがタグとして付けられる場合が多いのです。これはクリエイターやパフォーマーの自己顕示欲というより、視聴者からの要望とみるのが妥当でしょう。


クオリティの高い作品を投下できるPが分かれば、膨大な作品の中からよいものを予測して聴くことができるのです。P名タグは玉石混合の山から光る玉を選ぶための指針です。


ボカロカテにおいては、P名が多くの場合リスナー側から付けられることを考えても、これがリスナー側からのニーズから生まれたものであることが分かると思います。


また定期的にUPされるボカロランキング動画などもあり、リスナーにとってボカロカテはどんなに作品数が膨大でも「いい作品」に簡単に出会える安定期に入っているといえるでしょう。

ボカロ大盛況! 万歳!

やや唐突にぼくのボカロ曲発表体験談

さて、ここでぼく自身の体験談をお話しします。


じつはぼくは、初音ミクを発売日に手に入れてその日のうちにうpしてたクチです。
初日にゼロの使い魔2期のED曲を歌わせてうpしました(のちに権利者削除をくらう)。これが評判悪くてw、翌日長門有希のキャラソンをうp(半年後くらいに非公開にしました)。これも最初はさんざん叩かれました。


基本的にぼくは穴ぐらに住む小動物みたいにおどおどして打たれ弱いタイプなので、ああ、ぼくのような人間が生きていくには厳しい世界だった、と路線変更します。


そこで僧侶シリーズにターゲットを変えました。以前に「ひぐらしの鳴く頃に」1期のOP曲を歌わせた動画をうpして(リンク)、デイリーランキングの最大瞬間風速2位まで上り詰めたことがあったので、自信もありました。で、立て続けにスーパーマリオリンク)と踊る大捜査線リンク)をネタに僧侶動画をあげたのですが、これが全然伸びませんでした。


僧侶シリーズはすでにリスナーが離れブームは終わってたのです。


釈然としない気持ちはありましたが、ブーム終えんなら仕方ないときっぱり諦めます。そして、ランキングを見回すと、ぽつりぽつりと初音ミクのオリジナルが生まれて伸び始めてました。


そこで初音ミクのオリジナルでリベンジしようと企てます。
で、できたのが「おしえて!だぁりん」という曲。

狙いどおり当たりました。デイリーで7位くらいまでいったかなぁ。翌日「みっくみくにしてあげる」がうpされてあっという間に抜かされてったけど(笑)


狙いどおりの結果が残せて満足してしまったので、しばらく初音ミクで曲を発表するのはやめてました。リン・レンがプレゼントで当たったのを機に、手持ちストック曲からお試しで歌わせたくらい。ボカロ界ではピアプロができたり、ガチ曲がどんどんヒットしたり、有名Pが生まれ始めたり、どんどんブームになって行った時期です。


ぼく自身は出来れば来世はハダカデバネズミとして生まれて、肉ぶとん係として赤ちゃんデバをあっためるだけの一生を送りたいと思ってるので、有名Pになりたいとか、少しも思いませんでしたし。


んで、相当な休眠期間ののちに、ふとまたやる気になってガチ曲を作ってみました。「デジタル・ビットレート」って曲です(リンク)。


これがあんまり伸びませんでした。(平均よりはずっと多くの方に聴いていただけてると思いますが、「おしえて!だぁりん」での“確変”を経験してるだけに、あれ??って思いました)


「こんなにボカロが盛況で、曲の出来だって、例えば週刊ボカロランキングに入っている曲と比べてもそんなに悪くないんだけど・・・伸びないよなぁ」


当時所属していたボカロSNSの日記でさんざんそのような愚痴をこぼしてました。たいへん贅沢である意味ゴーマンな悩みだったかもしれません。

ブームが終わったわけでもない。クオリティだってそこそこある(つもり)。だけど伸びない。ぼくがのほほんと外野で眺めてた間に、いつの間にか見えない壁がそこに出来上がってたのでした。

以上、体験談終わり。

クリエイターにとっての不幸

ある程度の実力を持ったクリエイターが、今ボカロカテに新規参入しようと思ったら、想像以上に壁を感じるかもしれません。リスナーのなかで“ごひいきのP”を中心に選んで聴くというスタイルが定着してしまったので、無名Pの曲はとことん埋もれていく傾向にあります。埋もれ具合は、まるでブームが終わった音楽カテのようです。


ぼくのような底辺Pでも「おしえて!だぁりん」を殿堂入りさせることができたように、最初期の頃は作品の価値そのもので曲の人気が決まりました。今は、作品の価値そのものに加えて、誰が作ったかという人の価値、知名度で曲の人気が決まっていく傾向にあると思います。


加えて今は名前がついたPだけでも500人以上いるようですから、作品が多くの人の目に留まるか留まらないかは、超有名Pでもない限り本当に運みたいなものだと思います。


ただそれはしょうがないことです。作品の「人気度」をはかる上で、モノの価値と同程度に知名度が基準になることはあたりまえのこと。そもそも匿名同士の作品がしのぎを削ること自体が異常であって、作品に自分の名前をつけて発表できる今が正常なのです。


ただクリエイターにとってこれは不幸な状況とも言えるんじゃないかなぁと思います。世間一般の形とは違うとしても、本来ニコ動は、今も匿名のクリエイターが作品の価値そのもので勝負できる面白い場所ではあるワケで。そこに意義を感じるクリエイターにとっては、ある意味、現在のボカロカテは低迷期と言ってもいいのではないでしょうか。だって、曲を発表するだけだったら、MySoundとかmuzieとかスティッカムとか他に場所はいっぱいあるもの。


んじゃー、どうすれば面白くなるか?って話ですけど。 少し長くなったのでまた明日にでも。
→続き書きました(3/12 15:55追記)
http://d.hatena.ne.jp/maemae24/20090319/1237442813

#底辺Pとして有名Pへの嫉妬みたいなのが無いとは言えないのでその辺差し引いてくださると助かります。

#繰り返しますが、ぼく自身は出来れば穴ぐらでハダカデバネズミとして一生を終えたいくらい臆病な人間なのでw ハダカデバネズミはハチやアリみたいに、女王デバがいて兵隊デバがいて働きデバがいる、真社会性をもった珍しい哺乳類です。でも、兵隊デバって、戦いに出るっていっても基本食われに行くだけらしいよ。

#冒頭のばあちゃんのくだりはうそですww

初音ミクのアルバムが売れてる?

supercellのアルバムが2009年03月第3週の邦楽アルバムランキングで4位だそうだ。

http://www.oricon.co.jp/search/result.php?kbn=ja&types=rnk&year=2009&month=3&week=3&submit5.x=25&submit5.y=9


これをもって、無名人でもチャートインできることは邦楽界の異変だ!一大レボリューションだ!って論調があるけど、2重の意味でぼくは疑問です。


まず、邦楽の売り上げが下がっていること。

http://www.oricon.co.jp/search/result.php?kbn=ja&types=rnk&year=1999&month=3&week=4&submit5.x=35&submit5.y=13

これはちょうど10年前の3月第4週の週間チャート。宇多田ヒカルのファーストがいきなり200万枚売ってる。いちばん邦楽が売れてた時期とはいえ、これはすごい。で、注目してほしいのは、FF7のサントラが11位にいること。売上が4.5万枚っすから、supercellの5.5万枚には及ばないもののそれなりに売れていることが分かる。


その1週前には
http://www.oricon.co.jp/search/result.php?kbn=ja&types=rnk&year=1999&month=3&week=3&submit5.x=35&submit5.y=13


supercellと同じ4位にいます。9万枚売ってます。FF7はビックタイトルだと思うので初音ミクと同列に扱うのはどうかとも思うのですが、ヲタク的サブカルチャーという文脈で多少強引にまとめてしまえば、邦楽全盛期時代において既に「売れてた」のです。あとは目立つか目立たないかの問題じゃないかと。宇多田ヒカル、hitomi、椎名林檎ZARDT.M.Revolutionといった10年前のビックネームが並ぶチャートで、メインストリームではないFFのサントラがチャートインしても話題にならなかっただけでしょう。


CD売れない売れないってさんざん騒いでおいて、10年前とは売上数が全然違うチャートの中で、初音ミクが売れたよーって「特別視」するのはおかしい。むしろ、売れて当たり前って考えないと。


なぜかって、10年前でもサブカルチャー音楽は十分売れてたし、それに音楽自体の消費のされ方も変わってきて初音ミクが売れる土壌というのは当たり前のようにあったと思うんですよ。CD売れない売れないっつってもさー、大手家電量販店のiPodコーナー行くとすごいお客さんいますよ。音楽聴いてる人はたくさんいる。大手メディアがさあ聴け!そら聴け!とばかりに毎日毎日聴かされて、皆んな右へならえで同じCDを買った10年前と違って、選択肢が多様化したんです。CDじゃなくて着うたやiTunes Storeで音楽を買うという選択もそうだし、アーチストの選択だってそう。10年前の音楽のプロモーションの場はほぼテレビやラジオだけでした。それがネットの普及と発達でyoutubeやらニコ動やらで聴きたい時に聴きたいものを聴けるようになった。リスナーの好みに合わせて広く浅く音楽が消費される時代になったのです。テレビやラジオで流れないからといって、アルバムチャート4位に入ったのが異変なんて、もはや言える時代じゃないのです。


で、ここで最初に2重の意味で疑問といった、もうひとつの疑問点。


supercellは無名じゃないってこと。


アクティブユーザー数ではないとはいえ、ニコ動のID登録数は1000万超えてるのです。朝日新聞が公称800万部です。メディアとしては全然無視できない大きさです。そんなニコ動でsupercellの代表曲「メルト」が約400万再生っすよ。これはもはや「無名」というレベルじゃないです。


要約すると


1.10年前に比べて音楽市場は規模縮小した
2.音楽の売れ方は多様化してる
3.プロモーションの場としてのメディアも多様化してる
4.supercellはニコ動では超メジャーで無名ではない


これでsupercellが週間アルバムチャート4位を邦楽界の異変だと考えるのは、ちょっと夢見すぎというか・・。あくまで想定の範囲内の出来事でしかないと思います。

たとえば今年3月3週のアルバムランキングの話に戻ると、3位の「JUJU」のほうが僕にとっては誰?って話です。でもきっとこれもどっかのメディアじゃ初音ミクより話題性があって、そしてそのメディアのほうがニコ動より強いってことなんでしょう。


ぼくがJUJUについて興味がないのと同様、初音ミクを知らない人には依然として初音ミクはどこまでも興味がないものにしかなりません。多様化とは、右へならえには"ならない"ということです。一部のブームがメディアを超えて伝染するのは難しい。


だからメディアの壁を飛び越えるヒットが、ヒットというのに相応しいんじゃないかなぁと思うんです。ベタですけど、初音ミクが紅白に出るとかですね。そういうことが起きたときに、初音ミクは邦楽界に革命とか異変をもたらしたと言えるムーブメントになる気がします。

ドイツの銃乱射事件の犯人が・・・

ドイツの銃乱射事件の犯人がキーボードクラッシャー激似の件

犯人
http://news.sky.com/skynews/Home/World-News/Germany-Shooting-School-Killer-Tim-Kretschmers-Last-Moments-On-Emerge-On-Video/Article/200903215239699

キーボードクラッシャー

まさか本人じゃないよね?